あるゾンビの独り言

援助交際の支払いは命で... 非モテ男子の予測不可能恋愛物語

シエラ〈第15話〉

                                 Je m'appelle

 シエラと連絡が取れなくなって、二週間ほどが過ぎた。止まれは毎日、鼻歌交じりに仕事をしている。時々遠くの方から、あの腐ったサッチモの声で「シエラ」という名が発せられるのが聞こえてくる。

 そんなある日、ホストからLINEが来た。店で働かないかという誘いだった。「ホスト」は、思った通りホストだった。シエラが聞いたら「ウケる」と言うだろうが、全くウケない。ホストと言えば、キンキラキンの衣装を着て全身にジャラジャラと装飾品を付けた、テストステロンを擬人化したような人種で、キャバ嬢やソープ嬢など男に目の肥えた一筋縄では行かない客ばかりを、口ひとつで楽しませ惚れさせて、一晩に何十万何百万という金を貢がせて儲ける商売だろう。生まれてこの方、生きた人間にはただの一度として心を開いたことも、開かれたこともない私にとって、国営放送の「うたのおにいさん」と並んで最も相応しくない職業の一つであると言えよう。こんな私が、百戦錬磨の客を楽しませられるわけがない。よって私は [せっかくのお誘いですが、お断りします]と即座に返信した。しかしホストは、話だけでも聞いて欲しいと執拗に食い下がってくる。人手不足でピンチだから助けてくれとか、人を連れて行かないと減給されるとまで言って泣きつかれると、どうも断りづらくなり、ついに「話を聞くだけなら」と霊感商法のような流れにきれいに乗っかって、次の日曜日に会う約束をしてしまった。

 

 歌舞伎町名物の巨大怪獣の麓でビニール傘を差して待っていると、間もなく高そうな傘を差したホストが現れた。岩盤浴の時とは随分雰囲気が違う。その佇まいは明らかに本物だ。

「こんちはっス。無理なお願いしちゃってすみません。カノジョさん、元気っスか」

「いやぁ、まあまあです」

「そうっスか。んじゃあ、さっそくっスけど、店にご案内します。目と鼻の先なんスよ」

 そう言って、ホストは私の少し前を歩き始める。時々私の方を振り返っては微笑む。申し訳ないが、こちらは微笑むための顔面の筋肉が退化してしまったため、微笑みを返せない。そんな私を、彼は上客のようにエスコートする。油断すれば、恋をしてしまいそうだ。なるほど、こうやって惚れさすわけか。ホストという職業が、こういう行動習慣を人に形成するのだろうか。到底あり得ないが、仮にそのようになった自分がいたとしたならば、それはもはや自分ではない。全く別の何者かであって、今の自分との連続性は完全に断たれている。そもそも自分がそんなものになれるはずもないが。

「着きましたよ。ここっス」

 黒をベースにしてゴールドを効かせた外装のその店の看板には、「DAGDA」という文字があった。

「ダグダ?」

「違います。それでダグザって読むんス。どっかの神様の名前らしいっス」

「へぇ、ダグザ……」

 

 自動ドアが開いた瞬間、

「いらっしゃあせえーっ」という大合唱を、いきなり全身に浴びせかけられた。もしポップコーンとコーラを両手に持っていたなら、間違いなく両方とも床にぶちまけていただろう。

 店内を掃除していた数人の従業員たちが、手を止め、礼をした状態で静止している。

 状況がまるで飲み込めない。間を埋めるため、とりあえず四方八方に会釈を乱発する。

「副社長。この人がオレの最強の隠し玉っス」

 最強の隠し玉?

 ホストに「副社長」と呼ばれた男は、私に近付いて来ると、真っ白な歯を見せて笑った。「副社長」と呼ばれるわりには、随分若い。二十三、四か。

「ダグザへようこそ。蘭丸が言っていたのは、あなたですか。お待ちしておりました」

 ホストの名は「蘭丸」というらしい。

「す、すみません。節操もなく、フラフラと来てしまいまして。明らかに、ば、場違いですよね」

「今はこんな感じっスけど、磨いたら絶対に光ると、オレは見てるっス」

「う~ん、どうだろう」と言いながら、副社長は目を細めて、一秒半ほど私を観察した。

「まあ、とにかく一度、話をしてみましょう。まずあなたには、この仕事のことを知ってもらわなければなりませんし、我々も、あなたのことを知る必要がありますから」

 奥のボックス席に案内され、副社長と向かい合う形で座らされた。副社長の隣には、蘭丸も座っている。

「まず、この仕事について、説明させていただきます」

「はあ、よろしくお願いします」

 副社長の喉仏と鎖骨で、ボルダリングが可能だと思う。

「一言で言えば、お客様に夢を売る仕事です」

「はあ、ゆめですか」

 真正面から言われると照れる言葉である。できれば角度をつけて欲しい。

「そうです。夢です。現実生活に於いて人は、それぞれに様々なつらい思いを抱えながら生きています。そう思いませんか?」

「はあ。確かに私はそうです。他の人はどうか知りませんけれど」

「他の人もそうです。つらさは、衣食住を満たそうとする中で必然的に生ずるわけで、つまり、生きるということは、基本的につらいことであるというのが私の考え方です」

 眩しくもないのに眩しそうな目をするのは、法律で禁止してほしい。

「そう、かもしれませんね」

 尻に汗をかいたので、座り直してズボンの中の空気を入れ換える。

 蘭丸も真面目な顔をして姿勢を正すふりをする。

「そんなお客様に私たちは、このダグザにいる間だけでも、現実のつらさを忘れて楽しんでいただきたいのです」

 両手を組んで身を前傾させた副社長の額に皺が寄る。

「いかがですか」

「は?」

「貴重な仕事だと思いませんか」

「ええ、まあ」

「やってみようとは思いませんか」

「はい。あ、いえ。こんな私で、果たしてそんな方々のお役に立てるかどうか……」

 どう考えても無理に決まっている。

 副社長は、椅子の背に体重を預けた。

「そうですね。そこですね、テーマは」

「いけますよ。オレだってできてるんスから」

「おまえができているかどうか、俺はまだ判断の途中だぞ」

「え、まじスか。やべっ」

「それで、我々としては、あなたの資質を知りたいわけなのですが、そのために、いくつか質問をしてもよろしいですか?」

「ど、どうぞ……」

「まず、これは非常に重要な質問なのですが、あなたは嘘が得意ですか?」

「嘘、ですか。うーん、子供の頃は、人並みに嘘をついていたように思いますが……」

「たとえばどのような嘘を?」

「たとえば……」

 埃まみれになった記憶を、脳の奥から手繰り寄せる。

「向日葵畑の真ん中の道を歩いていたら、水色の着物を着た大物演歌歌手が道の向こうから同じように歩いて来て、すれ違いざまに肩車された、とか」

 今思えば、この嘘は、親の愛に恵まれぬ子供の、愛されることへの憧れが生み出したものであったろう。

「おお、いいですね。他には?」

「今、学習雑誌『みんなの科学』を買うと、付録としてもれなく火星人の死体が付いてくるから、親は子供の教育のために是非『みんなの科学』を買うべきだとか」

 この嘘をついた時には、父親から往復ビンタをくらい、夕飯の途中で家の外に放り出された揚げ句、中から鍵を閉められた。胆汁のごとく苦い記憶の一つである。

「すばらしい」

「あの、失礼なのですが、こんなことに意味があるのですか?」

「もちろん、あります」

「一体、どのような意味が?」

「嘘は、現実の引力から脱出するための動力です」

「かっこいいっスね。オレも嘘は得意っス」

「おまえは黙ってろ」

「へーい」

「お客様は、現実を忘れるためにダグザにいらっしゃるのですから、そんなお客様を現実から解放しようとしている我々が現実に縛られていたのでは話になりません。だから、そこがいちばん大事なのです」

「そういうことですか。分かりました」

「そして次に大切なのが、頭の良さです。ただ、この点について、あなたはすでにクリアしています」

「え。なぜですか?」

「今の、ここでの遣り取りで、それは十分に判断できます。特に嘘の内容が秀逸です。頭が悪くてはつけない嘘だ。しかも子供の時の嘘ですよね」

「はい」

「それは、持って生まれた頭の良さの証明です」

「そう……ですかね」

 褒められて、少々得意になっている自分の浅はかさに腹が立つ。

「そして最後に、ねばり強く考える持久力です」

「はあ。持久力ですか」

「そう。これがいちばん難しい。この点あなたには、やや不安がある」

「えっ。それも、もう分かるのですか?」

「分かります」

「えっと、どのあたりから?」

「たとえば、たった今の、あなたの言葉から」

「えっ……」

「あなたは、人に質問し過ぎます。つまり、考え続ける重荷に耐え切れず、それを途中で人に預けてしまう癖があります。これは良くない」

「ああ、確かに……」

 これは以前、シエラにも示唆されたことだ。

 

―― どうして友情が生き残るための戦略なの?

 

―― 自分で考えてください。

 

「荷物が少々重くとも、目的地まで、自分一人で担い続ける持久力が必要なんです」

「考え続ける持久力ですか。それがどうしてホストに必要なんですか? あ。また質問してしまいました」

「今の質問は、まあいいですよ。実際にホストという仕事を経験してみなければ、分からないことですからね」

「はい。すみません」

「よし、分かりました。とりあえず合格です。一緒に頑張りましょう」

                               (次回につづく)