シエラ〈第16話〉
Je m'appelle
宇宙におかしな磁気が発生しているのであろうか。進行中の現実に頭が追いつかない。
蘭丸が、小さくガッツポーズをしている。
「早速、今日から働けますか?」
「え。今日からですか!」
「安心してください。今日は、先輩ホストに付いて回るだけの体験入店で、いわば見学のようなものですから。それで、もし気に入らなければ、断っていただいて全然構いませんよ」
「はあ……」
「蘭丸、開店までまだ時間があるから、それまでに色々と教えて差し上げろ」
「ういっス。任せてください」
「じゃ、失礼」と言って、副社長は奥に消えて行き、私は蘭丸と残された。
「やりましたね。じゃあ、これからオレのことを師匠と呼んでくださいよ」
「師匠、ですか」
「冗談っスよ。蘭丸って呼び捨てでいいっス。オレまだ十九っスから」
「十九? 若いとは思っていましたけれど、十代だったとは」
「おい、蘭丸。呼び捨てはダメだぞ。年下でも先輩は先輩だ」
掃除をしていた従業員の一人が、こちらに向かって歩きながら言った。
「はーい。すいやせーん、ジオンさん」
蘭丸をたしなめた色黒で眼光の鋭い格闘家のような男は、ジオンというのか。
「きみ、ここで働くことに決まったんだろ。名前はどうする?」
「名前をどうするというのは、どういうことですか?」
「源氏名だよ。店で働く時の名前のことだ」
「げんじ……。本名じゃ、いけませんか?」
「うーん、本名かぁ。きみの名前は何ていうの?」
「炎っていいます」
「ほのお?」
「ファイアー二つの炎、燃える炎です」
「炎ねえ。暑苦しい名前だな」
「そうですか。じゃあ、石川五右衛門、ではどうでしょうか」
「なおさら暑苦しいじゃねえか」
「たしかに」
「『石川ひとりでできるもん』っていうのは、どうっスか」
「おお、さすが蘭丸。馬鹿っぽくていいねえ。ついでだから、『桜田門Σ』みたいに最後になんかつけようぜ」
「じゃあ、『石川ひとりでできるもんΣ』は、どうっスか」
「馬鹿。丸パクリじゃねえかよ」
「あの、すみません。その話に私も参加してよろしいでしょうか」
「おぅ、いいよ。おまえの名前の話なんだから」
「では、その、『石川ひとりでできるもんシエラ』で、お願いしたいと思います」
「おう、よく分からんけど、カッコいいじゃねえか。よし、それにしろや」
「ヘヘッ。シエラって、この人のカノジョの名前っスよ」
「おっ、おまえ彼女いんのか」
「いるんスよ。チョーかわいいカノジョが」
「マジか。おい、じゃあ、今度店に連れて来いや」
「なんだか、恥ずかしくなってきたので、ただ今の案は撤回致します」
「なにぃ。めんどくせえ野郎だな、てめえは」
「申し訳ありません。では、『ひとりでできるもんシエラレオネ』では、いかがでしょうか。シエラレオネは、世界一寿命の短い国の名前なのですが」
「それなら、世界一寿命の長いニッポンの方がいいんじゃないっスか? 『ひとりでできるもんニッポン』って、カッコよくないっスか、逆に」
「どいつもこいつも黙りやがれ。もう俺が決める。シエラレオネの下半分を取って、レオネ、いや、レオンだ。カタカナでレオン。文句のある奴は殴る」
「おお。レオンっスか。イタリアのチャラ男みたいで、カッコいいっスね」
「私も、それで結構です」
「よし。名前も決まったし、後は、そのルックスをどうにかしないといけねえな」
「今のままじゃ、鉄道オタクにしか見えないっスからねえ」
「そうだな。じゃあ蘭丸、おまえちょっと店の外に出て、コーディネートしてやれや。あと、髪型もなんとかしねえとなぁ。そのままだと、お客さんが区役所と勘違いして帰っちまうからな」
「ジオンさん、任してくださいよ。オレ、元々はヘアメイク目指して、専門行ってたんスから」
「三週間でやめちまった奴が偉そうに言うな、このタコが。近所の美容室に連れてってやれや」
「へーい。じゃあ行きましょう、レオンさん」
「あ、はい。蘭丸さん、これからよろしくお願いします」
何が何だか分からないまま、私は歌舞伎町のホスト「レオン」になってしまった。
(次回につづく)