あるゾンビの独り言

援助交際の支払いは命で... 非モテ男子の予測不可能恋愛物語

シエラ〈第8話〉

                                Je m'appelle

「ヤーバっ。マジで楽しいんですけどぉ」

 自分の頬を両手でこねくり回して変な顔になりながら、シエラがオクターブ高い声を上げた。

「満喫したね」

「次は、何リュウですか?」

「そうだねえ。随分温まったから『雪の癒』で一旦冷まそうか」

「雪ですか! 久しぶりです」

「そうなの? 人工雪だけどね。じゃあ、行ってみよう」

「行きましょう、行きましょう」

 

 『雪の癒』は、巨大なかき氷機だ。天井に、直径一メートルほどの円盤状の氷が固定されており、その氷の底面を、プロペラ状の刃が回りながら削ってゆく。そうして人工雪が作られ、天井から常に舞い落ちてくるという仕組みだ。

 『雪の癒』には、先程ロウリュウで一緒だった人たちが何人かいた。シエラは、ちょっとした人気者になってしまった。取り囲まれて、ちやほやされている。

「おねえさんの気合い、男前っスね」

 ホスト風の若い男が、シエラを持ち上げる。

「そうですか」

「お二人はぁ、お付き合いしてるのお?」

 私とシエラを交互に見ながら、キャバ嬢風の若い女が尋ねる。

「二回目のデートです」

 シエラが気だるそうに答える。

「二回目で岩盤浴デートって、進展早いわよねぇ」

 二丁目での勤務明けに来たと思われるニューハーフが、周囲に同意を求める。

 こくこくと周囲がうなずく。

「いやあ、ぼくが銭湯好きなので、無理に誘ったんです」

 話の角度を微妙に変えた。

「ほんと銭湯はいいっスよね」

 ホスト風の男が乗ってくれた。

「アタシもイイ男の次に好きなのが銭湯だわ。銭湯も、岩盤浴みたいに男女一緒に入れたらいいのにねぇえ」

 ニューハーフのセリフに笑いが起こる。

「カノジョ元気ないっスね。どうしたんスか?」

 ホストに言われてシエラを見ると、確かに顔色が人工雪より白くなってぐったりしている。

「シエちゃん?」

 頬に手を触れると、人工雪よりも冷たい。

 そこで初めて気付いた。

 シエラの肉体は、変温動物仕様だったのだ。だから暑ければ暑いほど元気になるのだ。思慮が足りなかった。もっと早く気付くべきだった。自分が好きだから、シエラも喜ぶだろうと単純に決めつけていた。

「すみません。ちょっと連れの具合が悪いみたいなので先に出ます」

「あらぁ、張り切り過ぎたのかしら」

「そうっスね」

「お大事にねぇ」

 意識朦朧といった感じのシエラを無理やり立たせ、殆ど力の入らなくなったレンタルボディーを支えて、人々の視線を感じながら『雪の癒』を出る。

 力の入っていない人間、いや、死神というものは重く感じる。

 冷たく無力になった死神を運びながら、ふと思った。

 引き返して『雪の癒』に放置して逃げれば、ひょっとして命を奪われずに済むかもしれない。うまくいけば今まで取られた命も取り返せるのではないか。

 しかし今は戻れない。人がいる。

 少し間を置いて、『雪の癒』が無人になるのを待つか。

 どこで時間を潰そう。できるだけ気温の低い場所がいい。

 クール宅配便のトラックの中は?

 どこにあるんだ、そんなものが。

 あったとして、どうやって入るんだ、その中に。

 エベレストの頂上か。

 何を考えてるんだ、落ち着け。

 そのとき、冷たくなった体から、その分だけ薄くなった桃色の香りが、鼻孔を通って頭蓋の中に流れ込んだ。

 出会いカフェで初めて目と目を合わせた瞬間が、太腿と太腿の触れたあの瞬間が、匂いに導かれてよみがえる。

「くそ。もうどうにでもなれ」

 もう一度力を入れ直して、ロビーのソファまで死神を運び、その上にそっと彼女を横たえた。

「シエちゃん、シエちゃん」

 肩を叩きながら、耳元で名前を呼んでみる。

 まるで反応がない。薄く開いた瞼の隙間から、明らかに何も見ていない黄土色の瞳がのぞいた様子は、中学生の頃に見た祖母の臨終の姿を思い出させる。おそらく変温動物仕様のシエラの肉体は、『雪の癒』の極端に低い室温に反応して、冬眠状態に入ってしまったのだろう。冬眠とは、一種の仮死状態であると聞いたことがある。

 いつの間にか、『雪の癒』にいた人たちに見守られていた。

「救急車呼ぼっかぁ?」

 キャバ嬢に問われて、はっとした。

 まずい。

 救急車など呼んでしまったら、体温を測られる。脈を見られる。心電図を取られる。そんなことになったら大騒ぎだ。なにしろシエラは死神であり、体は変温動物仕様なのだ。 

「け、結構です。よくあることなんです。温めれば、元に戻ります」

 苦し紛れの自分の言葉に気付かされた。当たり前のことだろう、温めればよい。冬眠した蛙は、春が来れば土から這い出て来るではないか。

「温めれば戻るって、あんた。冷凍の肉まんじゃあるまいし」

 口をパクパクさせて何か言っているらしいニューハーフの手を取った。

「お願いします。彼女を肉まんの部屋に運ぶのを、手伝ってください」

「え? ああ、いいわよ。『山の癒』がいちばん近いわね。おにいさん、扉を開けてちょうだい」

 ニューハーフは、ホストに指示した。

「了解ッス」

 ホストは『山の癒』まで飛んで行き、開けた扉と床の間にタオルをかませて固定する。と、すぐに戻って来て、シエラを抱えるのを手伝ってくれた。ニューハーフとホストとキャバ嬢と私の四人で、静かにシエラの体を持ち上げて『山の癒』まで運ぶ。そして、富士溶岩石の上にシエラの体を慎重に下ろす。幸いにして『山の癒』は無人だった。

 シエラは汗ひとつかいていない。そう言えば、汗をかく蛙というものは見たことがない。変温動物仕様だから、体温調節のための発汗という機能も付いていないのか。

 それにしても、死神が死ぬなどというナンセンスなことが起こりうるのだろうか。もしそんなことになったら、死神の親玉のような恐ろしい奴が復讐のために地上に舞い降りて来て、私は蚊のようにペシャンと殺されてしまうのだろうか。

 一方、死神は死なないとすると、シエラはいったい何歳なのだろうか。雪は久しぶりとか言っていたが、まさか氷河期以来とかいうのではあるまいな。たとえばシエラが五億歳だと判明した場合、自分はシエラに対する今の気持ちを保てるのだろうか。

                               (次回につづく)