あるゾンビの独り言

援助交際の支払いは命で... 非モテ男子の予測不可能恋愛物語

シエラ〈第30話〉

Je m'appelle

「ちょっと、そこで待ってて」
 厨房まで行ってオーダーを伝えると、おしぼりを三本持ってシエラの元に急いで戻る。
 すると、他のホストがすでにシエラの応対をしていた。髭森さんも加わっているところを見ると、まずは撮影許可の話をしているようだ。
 髭森さんはその後二人から離れ、カメラを回し始めた。二人の話も一段落したらしく、同僚は私の方に顔を向けると、口の動きで「知、り、合、い?」と尋ねた。私は彼の目を見てうなずいた。
 一人になったシエラに、おしぼりを渡す。
「はい、これ。よかったら使って」
 シエラにこの手を使われることを、実はずっと恐れていたのだ。これをやられるともう逃げようがない。
「今、接客中で抜けられないんだけれど、どうする?」
「待ちます」と、低い声。
「じ、じゃあ、申し訳ないけれど、そこの椅子に座って暫く待っていてくれる?」
 フロントのソファにシエラは黙って腰かけ、おしぼりで顔や腕の雨滴を拭った。
 テーブルに戻ると、梅サワーとビールがすでに届いていた。蘭丸の前にもコーラが置かれている。
「どうしたの。遅かったじゃない」
 マナティーに問われたので、「実は」と言って、事情をありのままに話した。
「あら、それならここに連れて来なさいよ。アタシたちは全然構わないわよ。ねえ、サクラ」
「うん、全然いいよぉ」
「どうもありがとうございます。では、ご厚意に甘えさせていただきます」
「すっかり元に戻っちゃったわね」
「しまった」
「いいわよ。早く呼んで来なさいよ」
「はい」

 シエラを連れてテーブルに戻った。
「お久しぶりぃ。お元気ぃ?」
 サクラがシエラに声を掛けた。
「イイエ、元気じゃないです」
 一ミリの段差に躓いて、危うくテーブルの上にダイブしそうになる。
「あら、どうして元気じゃないの? 彼氏が優しくしてくれないのかしら」
 マナティーが流し目で私を射る。
「ハイ、優しくありません。全然逢ってくれないんです」
 シエラの視線が私に突き刺さる。
「そうなんスか。ラブラブだと思ってましたけど」
「どうして逢ってあげないのぉ、こんなにかわいいカノジョに」
 蘭丸とサクラにも波状に見据えられる。
「いや、いろいろと、ありまして……」
 髭森さんのカメラにも照準を合わされ、総身から血がピューピューと噴き出る。
「まあまあ。とりあえず乾杯しましょ。五人がせっかく集まったんスから。シエラさん、何飲みますか?」
アールグレイがいいです」
 蘭丸に救われた。
 深く息を吸って、気持ちを立て直す。
「残念だけれど、アールグレイはないよ。ノンアルコールの梅酒なんかどうかな?」
「それでいいです」
「あんたも何か飲みなさいよ」
「ありがとうございます。ぼくは、普通の梅酒をいただきます。では、エビバデー、ちょっと待ってモーメントプリーズ。チャンネルはそのままで」
「もう無理しなくていいから。早く行きなさいよ」
 手の甲で額の汗を拭って厨房に走った。
 オーダーを伝え、「大至急で」と言葉を足すと、
「ダイシキュー? ワカッタ!」と言って、アフマドは鼻の穴を広げた。
 テーブルに戻って腰を下ろすと、一分もせぬうちにアフマドがやってきた。
「コッチガ……ノン…アルコール。コッチガ……アルコール」
 アフマドは、シエラと私の前に、グラスをそれぞれ一つずつ置いた。
「それでは皆さん、大変長らくお待たせ致しました。今日は外が大荒れですが、中はもっと荒れちゃいましょう。せぇーのっ、カンパーイ」
 ようやく五人のグラスが触れ合う。
 シエラの乾杯が強過ぎて、私の梅酒は半分以上が、テーブルと床にこぼれてしまった。
 シエラはノンアルコールの梅酒を一息に飲み干した。
「シエラさん、プロの殺し屋がテキーラを飲み干すみたいでかっこいいッスねえ」
「おいしかったです。おかわりください」
 シエラは空のグラスを勢いよくテーブルの上に置いた。
 テーブルの上にこぼれた梅酒を拭きながら、心臓がキュッと縮む。「プロの殺し屋」は、ほぼ正解である。
「あんた、雪の部屋で冬眠しちゃってどうなるかと思ったわよ。変温動物なんじゃないの、あんた」
「ハイ、そうです」
「シエラちゃぁん、あの後は幽体離脱してなぁい?」
「あれからはずっと体と一緒にいます」
 背中を滝のような汗が流れる。
 この人たちをまとめて黙らせてくれる人がいたら、今月の給料の半分をあげてもよい。
「レオンはぁ、どうしてシエラちゃんに逢わないのぉ。ひどいじゃなぁい」
「いやぁ、その話はR18指定なんで、ここではちょっと無理かなぁ」
 床にこぼれた梅酒を、四つん這いになって拭きながら答える。
「シエラが死神で、そこのヒトを殺そうとしてるからですよ」
「シエちゃん!」
 シエラ以外の全員が固まった。
 シエラは逆三角形の目で私を睨んでいる。

(次回につづく)