あるゾンビの独り言

援助交際の支払いは命で... 非モテ男子の予測不可能恋愛物語

シエラ〈第10話〉

                                Je m'appelle

 目の前に、韓国料理の皿がズラリと並んでいる。

 肉を焼く煙のせいか、しばらく寝ていない疲れのせいか、店内の空気が白く霞んで見える。

「ねえ、シエちゃん。ぼく、シエちゃんと知り合うまでは、本当に友達が一人もいなかったんだよ。今日一日で友達が三人もできたなんて、信じられないよ。それに岩盤浴の入り口で会ったケンちゃんっていう人にも、なにか親しみを感じたし」

「友達って、そんなに良いものなんですかね」

 キュウリをかじりながら、シエラはメガネ越しに角度のついた目で私を見る。

「それは、まあ、いないよりは、いた方が良いような気はするね」

「ふーん。そのユッケ取ってください」

「なんだか不服そうだね」

「不服ってわけじゃないですけど、どうなのかな、とは思います。ユッケやっば。まじウマ」

「どうなのかなって、どういうこと?」

「うーん、説明するのが難しいです。サムギョプサルもやっば」

 シエラは目をつむって、右に左に揺れながら豚肉を味わう。やがて体の軸が中央に定まると、ゆっくり目を開いた。

「人間の親は、子供を大切にするじゃないですか。どうしてだと思いますか?」

「それはやはり、愛情があるからなんじゃないかな」

「違いますよ。鮭の親は、子供を大切にしませんよ。同じ親なのに、愛情があったりなかったりするのはおかしいじゃないですか。そのお肉、早く取らないと焦げちゃいますよ」

「あ、ほんとだ。それは、人間と鮭とでは違うから」

「同じです。シエラ、やっぱりプルコギも食べたいです。頼んでもいいですか?」

「ああ、いいよ」

「すみませーん。プルコギ五人前くださーい」

「ねえ。人間と鮭がどうして同じなの?」

「鮭は子育てをしない代わりに、卵をたくさん産むことで子孫を残しますよね」

「うん」

「人間は、子供を少ししか産まない代わりに、子供が一人で生きていけるまで育てることで子孫を残す戦略を選んでるんです」

「ほお」

「要するに、手段が違うだけで、目的は同じなんです。人間も鮭も、とにかく子孫を残したいんです」

「なるほど」

「シエラ、このトッポギっていうやつ、要りません。名前に騙されました。全然違うの想像してました」

「ああ。じゃあ、ぼくがもらうよ」

「鮭が卵を何千個も産むことを、愛情とは呼びませんよね」

「うん、そうだね」

「同じように、人間が子供を独り立ちするまで大切に育てるのを、愛情とか呼んで有り難がるのはおかしいと思うんです」

「うーん、そうかなぁ」

「だって、子孫を残すための、ただの戦略なんですから。チーズタッカルビと、ビビンバもそろそろ頼みませんか。あと、ユッケおかわりしてもいいですか?」

「いいよ」

「すみませーん。チーズタッカルビと、ビビンバ三個ずつ、ユッケ八個くださーい。それから、キュウリを十本くださーい」

「確かに、言われてみれば、そんな気がしてきた。でも、その話と友達の話と、どう繋がるの?」

「おおまかには同じ理屈です。親子の愛は種の保存、友情は個体の保存のためです。個体の保存は種の保存につながりますから、結局いっしょです」

「うーん、難しい」

「ついでに言うと、男女の愛は、種の保存のためです」

「うん。それはわかるよ」

「要するに、生き物はみんな、生きたがりの殖えたがりなんですよ」

「それは、生き物っていうくらいだからねえ」 

 キュウリが十本、運ばれて来た。

「もし殖えて生きるばかりで、死ななかったらどうなりますか?」

「うーん……」

「このテーブルの上にあるものも、みんな元々は生きてたんですよ」

 シエラは、テーブル一面に並べられた韓国料理を、右手に持ったキュウリの尖端でぐるりと指す。

「生き物は、他の命をもらわなければ生きていけないでしょ。だから、死ぬのは当たり前のことだし必要なことなんです」

 両手に持ったキュウリが、ヲタ芸のペンライトの軌道を描く。

「それなのに、人間は文明を発達させ過ぎて、天敵がいなくなっちゃいましたし、殆どの病気を克服してしまいましたから」

「だから死神が必要ってわけか」

「そうです。だんだんシエラのことが分かってきましたね」

 シエラはようやく落ち着いて、左手のキュウリをひとかじりした。

「しかし、友情の件はやっぱりよく分からないな。どうして友情が生き残るための戦略なの?」

「あとは自分で考えてください」

「うーん。まあ、考えるけどさ……。今日のシエちゃんは、なんだか手厳しいな」

「そこのオジサンが、なんだか普通の人みたいで、つまらないからです」

 シエラは右手に持ったキュウリを私の鼻先に突き付け、左手に持ったキュウリをもうひとかじりした。

「え。ぼくが?」

「そうですよ。友情について熱く語るなんて、普通過ぎてびっくりしました」

「そうか。確かにおかしかったかもね」

「やっと気が付きましたか。まじでキモかったですよ。あと、もう一個あります」

「え?」

「そこのヒト、シエラを凍ったまま、雪の部屋に置いて逃げようとしましたよね」

「それは……、その……」

「いいです。それはもう、許すことにします」

「……ごめん」

 あのときすでに、心の中を読まれていたのか。迂闊なことは、考えることすらできやしない。

「じゃあ仲直りに、上カルビをあと七人前頼みましょう」

「もう置く場所がないって。見てよ、このテーブルの上」

 テーブルの上はおろか、カウンターの上までシエラの頼んだ料理で埋め尽くされ、それでも足りず、店員が両手に皿を持ったまま途方に暮れていた。

                               (次回につづく)