あるゾンビの独り言

援助交際の支払いは命で... 非モテ男子の予測不可能恋愛物語

シエラ〈第19話〉

                                 Je m'appelle

 目覚まし代わりのテレビのニュースが、梅雨明けを告げている。確かに暑い。じっとしていても汗が滲み出てくる。本気の夏、変温動物シエラの季節到来だ。

 LINEのアイコンに赤いマルが点灯している。

 布団の上に正座して開いてみると、緑のマークが五箇所にも付いている。シエラは沈黙したままだが。

 蘭丸のLINEを開く。

 [おはようございます。昨日は店に来てくれてありがとうございました。レオンさんのテーブル盛り上がってましたね。いきなり負けそうです。一緒にがんばっていきましょう!]

 すこぶる好青年である。

 次はジオン。

 [おい、生きてるか? どんだけ飲むんだ、てめえは。気が向いたらまたツラ見せに来い]

 文面に生霊が宿っていそうで怖い。

 続いてアキラだ。LINEの交換をした覚えがない。

 [コラ~、新人~! 私のお酒返せ~! なーんて、ウソよ。私のベイビーちゃん、また飲みましょうね]

 ベイビーちゃんには抵抗を感ずる。最後のキスマークが卑猥である。

 そしてミオ。なぜ友だち登録されているのか、これも謎である。

 [ヤッホー! ミオでーす。二日酔いになってませんか? www レオンが厨房に行った時、ジオンが「あいつ天才かも」って言ってたよ。初日なのにすごいね。レオンの桜田門Σ、また振り付きで見たいです!]

 別人格の自分は、知らぬ間に桜田門を振り付きで歌ってしまったのか。それでは正真正銘のアイドルオタクではないか。人に見せる予定など全くなかったのに。

 最後は副社長だ。

 [おはようございます。昨日はお疲れさまでした。いかがでしたか? ジオンからの評価は一〇〇点満点の四〇点ということでした。初日でそのレベルならば十分に合格です。是非一緒にダグザを盛り上げていきましょう。続けるかどうか、本日中に御連絡をください。シフトについて御相談したいと思います。]

 酒で記憶が飛んでいる空白の時間帯に、採点までされていたとは。アルコールの力を借りたとは言え、人からこれほど興味を持たれるのは生まれた時以来である。

 自分史に残る快挙に、微かな頬の火照りを覚えながら、各々に返信の文面を打つ。 

 蘭丸に請われてダグザに行ったのは、ちょっとした好奇心と、岩盤浴でのことに対する恩義があってのことで、その時点に於いては、ホストとして働く気など毛頭なかった。

 LINEを打つ手を止めて、壁の向こうを見つめる。

 自分の存在が人からこれほど求められたことは、過去に一度もない。同様のことが未来に起こる可能性も低いはずだ。  

 命と体は、神から借りている道具である。返却期限までに、色々な使い方を試してみなければもったいない。シエラに気付かされた。

 過去の自分が知ったら、気が狂ったと思うだろうか。

 日本一の歓楽街、人と人が、言葉と魂と粘膜とで絡み合う街、歌舞伎町で、ホスト「レオン」として、やれるところまでやってみよう。

 正座を崩し、胡座の中央にスマホを置いて今、そんなことを考えている。

 

 副社長に継続の意思を告げ、シフトの話をした後、警備会社に辞意を伝えに行くことにした。いつになく足が軽い。警備会社は、東京スカイツリーを見上げる街の、とある駅のすぐ近く、下の二フロアが進学塾というビルの五階にある。

 警備員の仕事は、元をただせば人生に於ける緊急避難であった。二流の大学を出て生命保険会社に就職したところ、配属されたのが営業部だった。毎日、住宅街のインターホンを押しまくっては、玄関の扉の隙間から煙たそうな顔をのぞかせた見ず知らずの人に、死んだ後に備えましょうと言って、財布の紐をほどくべきことを説得する日々。人とコミュニケーションをとることを何よりも苦手とする私には、明らかに不向きな仕事であった。一日歩き回って、スーツを着たまま貯水池に落ちたのかと思われるほどにぐっしょりと汗をかいても、一向に結果を残せない。収穫と言えば、異常な量の汗に色まで変わった私のスーツ姿を見て、感心した老人に干し芋を一袋もらったことくらいである。会社は外資系であったため、働いても働いても結果が出なければ給料は下がるばかり。そしてついに、給料が家賃と同じ七万円になった時、さすがにこれは無理だと悟って、営業中に公園のベンチで履歴書を書いて、その足で警備会社の面接を受けに行ったのだった。

 不採用になる人間は、死んだ人くらいなのではなかろうかと疑われるほど、採用はあっけなく決まり、半年ほどの道路や建設現場などでの誘導警備を経て、国際展示場の施設警備をするに至った。

 所長に辞意を告げると、もっと早めに言ってくれないと困ると小言を言われたが、特段惜しまれもせず、始める時と同じくらいあっさりと退職が決まって胸が軽くなった。ただ、「何なの、そのホストみたいな髪と眉は」と言われた時には少々狼狽した。

 帰り際に、制服等、会社から借りていた物一式を返すため、道具の保管室に立ち寄った。保管室には数人の警備員がいて世間話をしていた。借りていた制服を然るべき場所に戻すために、棚に貼られた制服のサイズを示すラベルを、順次目で追っていたところ、聞くとはなしに聞いていた話の中に、自分の知っている人物の名が出てきてハッとした。そして、話をしまいまで聞かぬうちに、全身の血液の凍るのを感じた。

 止まれが、死んだ。

 それは昨夜のことらしい。経緯は次の通りである。

 昨日は深夜の道路工事の警備員の数がどうしても足りなくて、施設警備から止まれが駆り出された。止まれは工事現場の手前で車線を変更するよう、走っている車に指示を出す役目を負っていた。その任務の遂行中、ぼんやりしていて警備員の存在に気付かなかった車に撥ねられた。即死だった。

 これが、聞こえてきた話の全貌である。自分がダグザで正体をなくしていたのと同じ夜に、止まれの身にそのようなことが起こっていたとは、想像すらしなかった。

 交通警備をしていれば、事故は常に起こり得るものである。その犠牲者が今回は偶然にも止まれであった。とも言える。しかし、止まれとシエラが知り合って一月もせずに、道路の誘導に欠員が生じて、百人以上もいる施設警備員の中から止まれが選ばれ、そして選ばれた日というのが、起こり得ることとは言え、決して毎日起こっているわけではない、事故の起こるまさにその日であって、現場に最低でも五、六人はいたであろう警備員の中の、止まれ一人だけが死んだことを、果たして「偶然」と言ってよいものであろうか。

 呼吸が重い。

 どこからともなく線香の匂いが漂ってきた。家を出る時の軽快な気分は、もうすっかり消えていた。

                              (次回につづく)